「ウィリアムのことだ、今頃は解決しているんじゃないかね」
ロランはそう返してみるが、ソニアの表情は、また一段曇っただけだった。
「でも、お母様でさえ、思い過ごしだとおっしゃいますの。とてもそんな風じゃないのに」
シナンのことを兄と慕う彼女もまた、ロランにとっては娘のようなものである。彼女がこれほどに悩みを吐露してくることは、長い付き合いの中でも多くあったことではない。
「……まあ、ヴェルクは度々、カインデルの世話になる身だ。今までも、そしてこれからもね」
とはいえ彼女を悩ませているのは彼女自身の問題では無く、カインデル領主の身に起きていることだ。
「ウィリアムがどう思うか分からないが、私で力になれることがあれば、協力は惜しまないと伝えてくれ」
それを聞いたソニアはようやく微笑みを取り戻したが、ロランはきっと、ウィリアムがすぐには返事をしないだろうと思った。だから彼は、「一人にしか知られてはいけない問題」があることをそれとなく示すだけに、伝言を留めたのである。

「そうねえ。実は私たちも、つい昨日知らされたのよ」
マロニエが杯を片手に呟く。
「よほど、急ぎでしたのね」
「そうみたい。詳しい話も、全然聞かされていないのだけど……私たちだけじゃなく、殆どの騎士たちに、ね」
ソニアはマロニエの物言いから、一つ察したことがあった。両親の異変とシナンの不在が、どこかで繋がっているであろうことだ。
ウィリアムが自分たちで背負いきれない事態を抱えているなら、ロランに何も掛け合っていないのは不自然であった。そして、もしかしたらロランも、似た状況にあったのか――今もあるのかもしれないということ。息子とはいえ、シナンは一人の騎士である。部隊長という肩書きがある以上、他より強い権限があるにしても、不在の理由を仲間にまで明かさないのは普通では無い。
「……マロニエ隊長、ご相談なのですけど」
「何かしら?」
こんな時のために、ソニアは無断でカインデルを出発してきていた。
「実はお父様と喧嘩して、しばらく城に戻らないつもりですの」


クローア山を昇る山道の入り口は、鬱蒼とした木立に隠されていて、目を凝らせばその端々に、縄や足場の張ってあるのが見える。
ユーゴーがそこに立つと、梢の中から武器を構える小さくない音が聞こえた。
「――あん?誰かと思えば」
ところが、誰かが呟いて、木の上から降りてきた。勿論、ロブレン盗賊団の一員である。その男はユーゴーの視線の先に立ち、にこりともせずに言った。
「久しぶりだねえ、裏切り者のユーゴー君」
一方でユーゴーは、微塵も動じる様子がない。もう慣れた扱いである。
「お変わりないようで何よりだぜ」
「てめえ!」
互いに戦闘を行おうとする様子は無いが、ユーゴーと、山の中に潜む盗賊たちとの間には、決して互いを受け入れようとしない力が働いているように見える。
「人質でも返しに来たのかと思えば、よくもそんな口がきけるな?」
「生憎、その話をしに来たわけじゃねえんでな」
ユーゴーも、セドウィンを通して、ヴェルク城襲撃の話は聞いていた。
彼はかつて、滅んだ村から連れ去られ、ロブレン盗賊団の一員として育てられた少年だった。そして、盗賊としての生き方を教えこまれ、初めて力の無い民を手にかけようとしていた時、セドウィン率いる部隊に捕らえられたのだ。
ユーゴーはセドウィンやベルナードによって、盗賊としての裁きを免れることを懇請され、代わりに騎士として生きていくための教育を施された。数年後、彼は剣を交えたロブレンの民に直接、決別を言い渡したのである。
「ヴェルクの騎士どもと話すことなんざねえよ」
「そうかい、折角心配して来てやったのにな」
「心配だと?」
ユーゴーはロブレンの民が動かないのを確かめると、腕組みして話を続けた。
「……妙な奴が来なかったか?」
盗賊は顔を顰めたが、無言だったので、それはきっと、何故知っているのか、という意味だろう。
「もっと言えば、黒い服を着てたかもしれねえし……国と関係があるようなことを言ってたかもな」
「それが何だ?」
「おっと、その前に」
その時初めて、ユーゴーは唇の端を釣り上げた。
「いや、何もものを取ろうってんじゃねえ。こっちの質問に、正直に答えてくれさえすりゃいいだけさ」
それを受けた盗賊はしばし考え、重い口を開く。
「……ヴェルクの騎士と、奴等が連れてるガキを仕留めろって話だ」
ロブレンの人間がシナンの命を狙うのは普段通りだ。だが、それを敢えて命じて、彼ら――レベリオを動かした人間がいる。
「そいつを完全に信用したわけじゃねえよな?」
「当たり前だ。口じゃ何とでも言える」
「だが、気ぃつけた方がいいぜ」
それが「本物」かどうかは分からないが、セドウィンがこうして自分に頼むと言うことには、それなりの根拠がある。
「そいつらは目的のためなら――他の人間なんて何とも思わねえらしいからな」


「……君、ほんとについてきてよかったのか?」
ルドルフが隊列を振り返りそう訊いた先は、徒歩で一行についてきているトライスである。鎧をいくらか外しているとはいえ、城を出発して随分と経った。他と同じ休憩時間でもそこまでの疲れを見せていないところは、やはり王都の騎士だからだろうかと思う。
「ほんとに、って?」
「エイリーン様があんなに引き留めてたじゃないか」
それを聞いてトライスは、また気恥ずかしそうに頬を掻いた。
エイリーンは出発の前夜、トライスが王都騎士団には戻りにくいであろうことを鑑みて、エンドルの騎士にならないかと彼に持ち掛けたのだ。しかしトライスは、彼らの傭兵団に入れてもらうつもりだ、と伝えた。
「……別に、断ったわけじゃないですよ。少し時間が欲しいと言っただけで」
「だよな。俺たちの仕事が終わったらすぐ戻るんだろ」
曰く、エイリーンは彼女なりに一行への礼をしたが自分はそれが出来ていないので、先に恩返しをしたい、ということらしい。その理由を聞いて、エイリーンもようやく理解を示したというのだが、別れ際にも無事に帰ってくるよう念を押していたのを考えると、ルドルフだけでなくシナンやカムリ、ジュノも、残った方が良かったのではないかと思わざるを得なかった。
順調な一行の途上に雨雲がかかったのは夕刻の頃である。それは程なくして足を止めさせるほどの強さになった。付近に人里も見当たらない野の真ん中だったのだが、木に覆われた小高い丘に駆け込んだ一行は、雨宿りに最適な場所を見つけた。
「これは……」
それはどこか神聖な雰囲気を帯びた、朽ちた建物であった。屋根は一部崩れてはいるが概ね残っていて、一行が腰を下ろして休める充分な広さもある。
「幸運だったな。雨が止むまで待とう」
濡れた外套を絞りつつ、シナンがそう言った。トライスはさっそく腰を下ろし、カムリとジュノは荷物を置いて、きょろきょろと建物の中を見渡している。
「ここ、祠か何か……かな?人の気配は無いけど」
「村も無いのに、どうしてこんな建物があるんでしょう」
「……きっと、古代の遺跡なんだと思います」
答えたのはアルクェイドだった。聞き慣れない言葉に、二人は目をしばたいて、彼の台詞の続きを待つ。
「あ、いえ……その、知り合いに、詳しい人がいて。遙か昔、この世界には、非常に優れた文明があったと言われているんです」
シナンも荷物を整理しながら、その話にこっそりと聞き耳を立てた。
「その時代には、遠く離れた場所に一瞬で移動したり、その場にいない人と会話をしたり、空を飛ぶことも当たり前だったとか」
「本当に?」
「でも、今はそんなこと出来ないし……それだけすごい力が、どうしてなくなってしまったの?」