「……セスト?どうかしたか?」
「……奴らの着けている鎧」
彼は振り返り、主に質問をしたシナンと、アルクェイドに向けて告げる。
「胸に『天光』の図柄がある。王都騎士団のものだ」
予想だにしなかった言葉に、アルクェイドの表情が凍り付いた。そして、セストの言葉を確認するため、木の陰から顔だけを出してその姿を注視する。
セルヴァニアの騎士たちの防具や武具は基本的に、その領地内に住む職人によって製造されている。また作る際には領主から必ず、意匠についての指定がある。例えばヴェルク領では部隊長格の甲冑は、鮮やかな深緑に仕上がる暗緑鋼という金属で作られているし、手甲や胸当てに領の紋章を彫り込むというのも一般的である。
王都騎士団の場合は甲冑のどこかに、太陽から降り注ぐ光を図案化した放射状の模様がついている。それは確かに、二人を追い詰めている集団の胸当てや膝当てに、はっきりと刻まれていた。
アルクェイドは後ろに下がり、ごくりと息を呑む。
「本当か?なんだって、王都の騎士が」
「……何か、心当たりが?」
シナンに訊ねられるが、即座に首を横に振った。
他領で断り無く武力を行使してはいけないという法は、地方騎士団にだけ適用されるものではない。ただ王都の騎士の場合は、彼らの主が国王であるために、「特例で」許されることが多いだけだ。
しかし王都騎士団が他の領地で活動しなければならないことなど、外征する貴人の警護か、そうでなければ余程の事態――それこそ他国からの攻撃に際し、彼らが王国軍として指揮を執らねばならない時くらいである。
何故、王都の騎士がエンドル領で諍いを起こしているのか、アルクェイドには推測すら出来なかった。一つ言えることは、それが自分のこの状況に関わっているとしても、何ら不思議ではないということだ。
「あ……!」
ジュノの声に、一行が顔を上げる。男性が遂に、五人に対して突進したのだ。しかし初撃は弾かれ、あろうことか一人に胸ぐらを掴まれると、地面に叩きつけられてしまった。少女が悲鳴を上げ、後ずさる。
「やっぱり無茶だ。一人で相手なんて」
カムリの目からも、その男性が、無理を承知で挑んでいることが分かった。彼の背中には全く、余裕というものが感じられなかったからだ。止めとばかりに一人が男性を蹴り飛ばすと、ジュノは目を覆い、カムリは古くない記憶を呼び起こされて顔を顰める。
「……どうする、ここは無視するか?」
ルドルフも渋い表情をしながら、再度、アルクェイドに問うた。
相手が王都騎士団となると、通りすがりのならず者から人を助けるのとは訳が違う。彼らと交戦すれば、自分の存在には気付かれなかったとしても、シナンたちは任務を妨害した敵対者と認識されるかもしれない。
安全に王都へ向かうことを優先するなら、ここは彼らを見捨てるべきだ。
アルクェイドは微かに輝く首元の宝石を握り締め、声を振り絞る。
「……ごめんなさい……」
歯を食い縛り、湿った土に爪を立てても、肝心の体の芯に力が入らない。
まだ、この手には剣が残っている。戦える。そう思っても急所を打たれた身体は、小さな呻きのためにすら、息を吸うことを許さない。
敵の一人が目の前にしゃがみ込み、自分を見下ろした。
「全く。何を思ったか知らないが、身の丈に合わないことはするべきじゃないよな?」
「今謝ったら、牢屋に入れるだけで勘弁してやるよ。じゃないと、帰る所がなくなっちまうぞ」
別の一人がそう言うと、彼らは一斉に笑い声を上げた。幾度となく聞いた嘲りが耳を貫き、目の奥を焼く。
ふざけるな。
何が王都騎士団だ。何が、王に仕える戦士だ。
怒りは彼らを睨みつける目から、液体に変わって流れるだけだった。不規則に漏れるだけの形のない息には、その思いを込めることが出来ない。
「やめて!」
彼女が叫び、自分の後ろに跪いたようであった。
「私が……私がこの方を唆したのです!この方は悪くありません、ですから……!」
顔は見えないが、震える声が語っている。そんな表情を見ていられなくて、決断したというのに。彼女がそれを、信じてくれたというのに。
「ほう、それは本当ですか?」
「困りますな、騎士に規律を破らせるとは。もう少し厳重な監視が必要だ」
そう言って近づいてくる足を、土にまみれた指で掴む。赤くなった目には、決して少女に手を出させるものかという、命を賭した執念が宿っていた。
「……彼女に触るな、この騎士もどきめ!」
ようやく取り戻した声は、彼らに対する思いの丈を、精一杯の侮辱に込めてぶつける。相手は舌打ちしながら手を振りほどき、上から踏みつけた。
「ぐっ……!」
「誰に向かって口を利いている!?平民の分際で――」
「おっと、そこまでだ」
それを遮ったのは、知らない人間の声である。
「誰だ、貴様らは」
自分の手が解放され、敵意を剥き出しにした問いは、彼らの方に向けられた。
「通りすがりの傭兵さ。何だか弱い者いじめみたいで、放っておけなくてよ」
ゆっくりと首を巡らし、その姿を捉える。一人は、大振りの剣を担いだ、壮年の男。もう一人は長剣を手にした、背の高い細身の青年である。
「貴様らには無関係だ。我々の任務の邪魔をするな」
壮年の男――ルドルフは剣を肩から降ろすと、にやりと笑って答える。
「嫌だね」
「ならば、ここで斬り捨てる!」
五人が一斉に臨戦態勢になるが、その二人は全く動じていない。
「……相変わらず、物言いだけは立派な連中だ」
「なっ……どこまでも無礼な!詫びても許さんぞ!」
もう一人――セストが呟くと、それが相手の堪忍袋の緒を切ったようだった。
「お二人で、あの五人を……?」
それを遠方から見ていたアルクェイドが、不安げにシナンを見やる。対して彼は、そちらにはまるで興味がない風に周囲を監視しつつ、アルクェイドの言葉に笑顔を向けた。
「大丈夫だ。むしろ、釣りが来るぐらいだよ」
シナンがそこまで言うならそうなのだろうが、やはり落ち着かない。もう二人、カムリとジュノはアルクェイドを守るように左右に立ちながらも、彼らの戦いが気になってしょうがない様子だった。
「……あの方は……」
「うん?」
アルクェイドにも一つ、彼について聞いておきたかったことがある。
「セストのことか」
「はい。以前は王都に住んでいたと……」
「ああ」
彼の言わんとすることに気付くと、シナンは少しためらった後で答えた。
「……実は、彼は元々、王都騎士団にいたんだ」
「!」
「警戒させるかと思って、今まで言っていなかったが」
それを聞いて、アルクェイドの中に、誰かの面影が浮かびそうになって消える。それから、地方騎士団、特にヴェルクの騎士たちの中でも異彩を放っていた彼の佇まいも、ようやく腑に落ちた。
「どうして今はヴェルクに……」
「まあ、色々あってな……。その辺は人に話すと嫌がるんだ」
確かに、人に言いにくい事情でもなければ、王都に生まれ、住んでいた人間がそこを出たりはしないだろう。彼に限った話ではなく、だ。流石にそこまで聞き出すのは気が引けて、アルクェイドは曖昧に頷く。
「でも、あいつはもうヴェルクの人間だ。それは確かだから、信じてくれていい」
俺より強いしな、と付け加えたシナンの声色が、やや自虐的に聞こえて、アルクェイドは笑ってしまう。早速その戦いぶりを見ようと、視線を戻した時だった。
「……あれ?」
そこに立っているのはセストだけだった。ルドルフは女性と一緒に、倒れていた男性を介抱し、立ち上がらせようとしている。
先程まで、威勢よく吠えていたと思った王都騎士団の五人は、木の根元に芋虫のように転がされていた。
「すごい……あんな一瞬で……」
「団長は参考になったけど……セスト隊長は速すぎてよく分からないや」
思い思いに感想を述べているジュノたちによると、どうやら自分が喋っている間に、戦いが終わったらしい。
「俺たちも行こう。話を聞かないとな」
シナンがまず、カムリとジュノを促して、ルドルフたちの元へ進ませる。それから、ぽかんとしたままのアルクェイドにも声をかけた。
「充分だっただろう?」
内容を見ていないので感想は述べられないが、それが彼の言葉の証明でもある。
アルクェイドは慎重な決断の、あまりにあっけない結果に、こくこくと頭を振ることしか出来なかった。
「本当に、ありがとうございます。皆様がいなければ、どうなっていたか……」
襲われていた青年が歩けるようになると、一行は少女の案内で、この近くにあるという村を目指していた。彼女が、そこで話をさせてほしい、と言ったのだ。ついでに水や食料などが補給できれば有難かったので、ルドルフは迷ったが、彼女の言葉に甘えることにした。
「いや、こっちこそ勝手に助けに入っちまって……しかし」
少女を乗せている自分の馬を引きながら、ルドルフが頬を掻く。面倒なことになった、と続けようと思ったのを呑み込んだのだ。彼が少女の提案に戸惑ったのは、時間を気にしたからではない。
そのすぐ後ろを歩く青年も甲冑を身に着けていて、膝当てには、降り注ぐ太陽の光を模した文様が描かれている。
つまり青年も王都の騎士であり、あの戦いは仲間割れだったということだ。
沈黙する一行の頭の中には、それに加えて、少女の装いへの疑問がある。
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