そもそもセルヴァニアでは、女性はなるべく多くの子供を産み、育てることが役目とされている。騎士になって生命を、身体をわざわざ危険に曝すようなことを、本心から認めている人間はごく少数だ。実際、第五隊に所属している騎士たちも、両親に反対されていたのを押し切っただの、今でも反対されているだの、自分の他にも姉妹がいたので、渋々了承されたといった経緯の者ばかりである。
「あいつは小さい頃から俺にくっついてばかりで。親父の狩りに俺がついていくと、何故かあいつもついてきました」
レイチェルとジュノは、狩人の父親と、家を守り父の支度を手伝う母親の間に生まれた。レイチェルは物心がつくと、父親から弓や道具の使い方を教わり、一緒に山や森へ出るようになった。一方でジュノは母親から道具の手入れや、二人に持たせる簡単な薬の調合などを教わっていたのだが、レイチェルが外に出る時には自分もついていくと言って聞かなかったのだ。
「それで、俺が騎士になると言ったら、私もなるって。無理だと思ったんですよ。あいつ、本当に落ち着きがないっていうか……少なくとも、狩りには不向きな性格でしたから」
曰く、彼女は面白そうなものや興味を引きそうなものがあると、いつの間にかレイチェルたちからはぐれているということが多々あって、父親が本気で彼女を叱ってからはあまりついてこなくなったらしい。どうやら珍しい草花を見つけると集めずにはいられないようで、役に立たなくはない素質なのだが、その注意力のなさでは騎士として戦うことも難しいだろうと、レイチェルはやめるように説得した。
しかし彼女は試験を通り、一年の見習いを終えて、レイチェルと同じ弓騎士隊に配属されてきたのである。
「両親も止めたらしいんですけどね。だからせめて、あいつが危ないことをしないように、俺がちゃんと見てなきゃいけなかったんですけど」
彼がここまで気を落としているのは、そんな彼女がいきなり自分についてこなくなった、という動揺もあるだろうし、それで兄としての自信を喪失しているのもあるだろう。
「……そうかもしれないね。でもさ」
一息吐いたレイチェルが水を飲むのを待って、テオフィルは口を開く。
「厳しい言い方かもしれないけど、ここでヴェルクの勲章を身に着けている人間は、一人の騎士だよ。彼女の上長ではない君に、彼女の行動を決める権利はない」
そう、ここでは、彼らは兄と妹である以前に、二人のヴェルク騎士だ。もしかしたら妹は、自分の上長に掛け合いはしたかもしれないし、そうでなくてもレイチェルに許可を求める必要は最初からなかった。同じくレイチェルも、彼女に相談され、それを認めなかったところで、いつも通り過ごすように命じたことにはならない。
レイチェルは妹の性質が変わっていないことを嘆いているようだが、彼もまた、妹と自分を一人の人間として切り離せていないのだ。
「……ですが……」
「勿論、心配をするなと言っているわけじゃない。でも、いいんじゃないか。そうやって自分たちがどんな風にあるべきか、見つめ直すのも」
まだ浮かない顔をしているレイチェルに、テオフィルは立ち上がり、いつもの笑顔で言い残した。
「それに、彼女が本当に独断で出て行ったのなら――帰ってきてからそれなりの厳しい処罰を受けることになる。僕もカムリにはそうするつもりだからね。」
「……。」
「そんな時に寄り添えるのが、兄としての、君の特権じゃないかな」
テオフィルは、シナンたちが何のために城を離れているのか、その真相を知らない。ただ、彼は出発の日の朝になって、セドウィンから話を聞かされていた。ある人物を送り届けるためだと。
その場では了承したが、彼はシナンがそれを直接伝えに来る余裕もないらしいことが気がかりだった。シナンのやろうとしていることは、本当にそれだけなのだろうか。
「……帰ってきたら、か」
まるで戻ってくることが前提の物言いをしてしまったものの、かすかに胸騒ぎがする。レイチェルからは見えなくなった面立ちに、微かに浮かんだ不安を、彼は軽いかぶりを振って追い払った。


ヴェルク西の領境は、南ではマルキア、北ではエンドルという領に接している。出発から二日目、シナンたちはエンドル領に入り、王都を目指して北上を続けていた。
本来であれば街道沿いを進んで、エンドル騎士団の拠点で手続きを行った後、護衛となる騎士たちをつけてもらわねばならないのだが、今回は事情が違う。
「……本当に俺たちだけで、王都まで護衛すんのか?」
城を出た直後、ルドルフはシナンにそう訊ねた。まだヴェルク領内での活動にも慣れていないカムリやジュノはまだしも、彼ならば当然の疑問である。
「ええ。『依頼主』の要望ですから」
ルドルフは一応、セドウィンにも粗方の次第を聞いていたし、シナンもそれと概ね同じ説明をした。エイドというこの少年は、王都に住んでいて、貴族の家系でもある豪商の息子だという。とある領地で騎士たちに酷い仕打ちを受けてから、地方の騎士は信用しないように言われていたのだが、シナンは自分の命を助けてくれたので信じられると、護衛を頼んできたそうだ。他の領の騎士たちには関わりたくないが、もし無事に王都まで辿り着けた時は、他領で自分を守るために剣を抜いたとしても、不問になるように知り合いの貴族に掛け合ってくれるということらしい。
「だとしてもなあ。何か居心地悪いぜ」
ルドルフは旧友であるセドウィンのことも、彼の弟子であるシナンのことも信用はしているが、正直に言えばこの件については全く納得していなかった。思うところは色々とあるが、最も違和感が大きいのは、そうして法に無理矢理穴を空けるようなやり方を、シナンが良しとしていることである。ルドルフが知っている限り、彼はそうして特別扱いで法を破るくらいなら、傭兵団や王都へ向かう商人を探す面倒を選ぶ性格だったからだ。
だが騎士団長から命じられているのは、シナンを守り、彼の身にもしものことがあれば、状況に応じて適切な対応をすることだ。この少年の正体や任務の真実は、そのために必要な情報ではない。
一夜明けるとルドルフは気持ちを切り替え、傭兵団の長としての役に入り込んでいた。細く高い木々がまばらに並ぶ森を、隊列を率いて進んでいく。
「シナン!このまま進めば良いのか?」
彼に続いてカムリとジュノが並び、その少し後ろにアルクェイドが歩いて、背中はシナンが守っている。隊列の最後尾がセストだ。
「真っ直ぐ進めば、北部の山地の端に出るはずです。森を抜けるまでこのまま行きましょう」
早朝には出ていた霧も晴れ、地面の起伏もないためさほど見通しは悪くないが、やはり遠征に不慣れなカムリとジュノは、落ち着かず辺りを見回している。
「そこまで警戒しなくても大丈夫だ。妙なものを見たり聞いたりした時だけ報せてくれればいい」
あまり気を張り詰めていると、いざという時に疲れが出てしまう。シナンがそう声をかけると、二人は振り向いて返事こそしたが、緊張は中々解れない様子だった。
そんなシナンも、このエンドルに来るのは随分と久しぶりである。自分がロランの跡継ぎとして認められ、近隣の領に挨拶をして回った時以来だ。おぼろげな記憶だが、領主のジェード=ディクトルは、やや口数が少なく気難しそうな印象であった。対してその夫人と、彼女によく似た幼い娘は、明るく優しげな雰囲気を纏っていたのを覚えている。
今朝の空は雲が少し多かったものの晴天で、森の中に入ってしまえば、風も遮られて殆ど届いてこない。純白の木漏れ日の中で、小鳥のさえずる音や羽ばたきが方々から響いているだけだ。こんな状況でなければ、少し馬を休めてゆっくりしたいところだったが――と思っていたのも束の間、シナンは不審なものに気付き、手綱を引いた。
他の仲間たちも程なくしてそれが視界に入ったらしく、同じように馬を止める。進行方向から少し外れた所に、この爽やかな朝に似つかわしくない険悪な気を放っている者たちがいた。
「……あれは?」
甲冑を身に着けた五人ほどの集団に、二人が対峙している。だがどちらかというと、二人の方が追い詰められ、後がなくなっているようだった。馬から降り、木の陰に隠れながら近づいていくと、その二人が男女であること、そして男の方が少女を庇うように立ち、剣を構えているのが分かった。
「どうも穏やかな感じじゃなさそうだな」
「た、助けないと……!」
声を上げたカムリを、ルドルフは人差し指を立てて制した。
「……ここはエンドル領だ。人を助けるためでも、勝手に戦うことはできねえ」
「でも……」
カムリが再び、事件の起きている方を見る。まさに一触即発の空気で、男性は今にも、五人に対して斬りかかろうとしていた。
「だが、今の俺たちは傭兵団だから――『依頼主』さえ許してくれれば別だが。どうだ?」
今、こちらから助けに入ることが出来るのは三人。それでも数は劣るが、彼らの実力であれば難なく退けられるはずだ。アルクェイドはルドルフの問いに、頷いて答えようとした。
「……。」
だがその時、セストがルドルフの隣に来て、じっと目を凝らす。