その理由としてアルクェイドが口にした、「迷惑をかける」という言葉の意味。
「君が王子の名を騙っているのであれば、そうしなかった訳は考えるまでもないことだ」
「……。」
「しかし、あなたが本当にアルクェイド陛下であるとしたら……何故、王都の騎士に無事を知らせなかったのか、その理由があればお聞かせ願いたい」
自分たちとアルクェイドとの間には、何か決定的なずれがある。
ロランの要望を聞いたアルクェイドは、シナンを振り返り、不安そうな視線を送った。シナンは強く頷く。きっとそこに、幾つかの疑問の答えがあるのだ。
しばし恐怖を忘れていたようだったアルクェイドの声が、微かに震えた。
「……私は」
希望の象徴を握り締め、這い寄る記憶に抵抗しながら、ロランに答える。
「私たちを襲ったのは、ラドアルタの人々ではないと思っています」
それは少し遠回しな表現だったが、意味を解せない者はここにはいなかった。
文字通り、ラドアルタの人間の犯行ではないということでも、偶然に鉢合わせた盗賊だったかもしれない、ということでもない。自分の立場で、それをそのまま口にすることがどんな事態を招くのか、理解した上で彼はそう言ったのだ。
すなわち、襲撃の犯人は、セルヴァニアの人間であるということを。
だとすれば駐屯地の砦は、自分を殺そうとした者が身を隠しているかもしれない、大きな罠に他ならない。地方の騎士団にも内通者がいる可能性はあり、また王都騎士団が自分の生存を知って身柄を要求してくれば、地方騎士団には拒否する手立てもないだろう。
「……もう少し聞こうか。何故?」
ロランは動じる様子も無く、次の問いをかけた。そうしないとアルクェイドが話を続けないのは、口に出すのが恐ろしいのだろう。
「彼らは、剣を使っていました」
だが、その答えについては三人の反応が悪く、アルクェイドは説明を加えた。
「ラドアルタにも武器を使って戦う人はいますが、それは飽くまで魔法の隙を埋めるための、補助的なものです。剣だけを使って戦うのなら間違いなく、セルヴァニアの騎士たちに分があります」
「しかし、ラドアルタにも魔法を全く使えない人間は……」
セドウィンが異議を唱えると、アルクェイドは静かに、首を横に振る。
「ラドアルタでは、素質のない人でも簡単に魔法を使うことが出来ます。そのための道具が、町ではその他の仕事道具と同じように売買されている。それすら手に入れられないのは、日々生き延びることで精一杯の、貧しい民に限られるでしょう」
「つまり、その者たちは一切、魔法を使わなかったと」
ロランが確認する傍ら、セドウィンが初めて、何かを吟味する表情を見せた。
「はい。私が見た限りでは、その集団の人数は親衛隊と同じか、やや少ない程度でした。もし彼らがラドアルタの人間だったのだとして、私を殺すことが目的なら、魔法を使った方が確実です」
それに、と間を置いて、アルクェイドは首飾りから手を離した。
「ラドアルタの人々が私を襲う理由があるなら、それはセルヴァニアへの宣戦布告、見せしめ……尚更、魔法によってでなければ意味を為さない」
まずラドアルタの人間が、王子に何らかの危害を加えようとしたなら、彼らが魔法を使わない理由はない。セルヴァニアの盗賊は、基本的に草原の外に出ることはなく、通りすがりのならず者の襲撃だったとしても、人数も多くない相手に、王都騎士団が後れを取るとは考えにくい。
何者かに雇われたセルヴァニアの傭兵という線もあるが、親衛隊に守られた自国の王子を殺害する、という危険な依頼に釣り合う報酬などそうそう用意出来るものではないし、相手の情報を伏せて向かわせれば間違いなく返り討ちだ。
「しかしセルヴァニアの……それも、王都騎士団の人間であれば、親衛隊と同程度の人数で目的を達成することが出来るでしょう。魔法を使わなかったことにも、日程や進路を知っていたことにも、説明がつきます」
「……何か、心当たりが?」
シナンが不意に呟くと、アルクェイドの声色が、憂いを帯びたそれに変わった。
「……いいえ、はっきりとは。しかし初めに申し上げた通り、王宮には私や父上の――王の方針を良く思わない者も、一定数います」
彼らが最も危険視しているのは、ラドアルタが第二のギムドとして成長し、黒霧戦争が再現されることだ。
根底にはやはり、ラドアルタが使う魔法への嫌悪感がある。ギムドが最終的に自滅という形で崩壊したのも、そのような魔法を使い続けた罰であると考えていて、彼らが同じ道を辿らないようにすることが、セルヴァニアの義務だと思っている者さえいる。基本的に彼らは、ラドアルタやギムドを下に見ており、同じ理由でラドアルタが国として独立している状態は正しくない、という意見さえある。
また、そこまで極端ではないにしろ、多くのセルヴァニア国民も、ラドアルタについての理解はあまり深くない。ラドアルタの魔法に触れると不幸になるとか、その気になればラドアルタはいつでも、第二の黒霧戦争を始められるという考えが、程度は違えど人々の共通認識となっていることは否定できない。
「彼らは私を殺すことで、ラドアルタを恐れる民の心を利用するつもりです。この事件が国民に伝えられるとすれば、『ラドアルタから帰国する途中だった王子が、国境近くで襲われた』程度の内容になるでしょう。それを聞けば多くの民は、ラドアルタの人間が攻撃したのだと思い込む」
シナンは、スカルドによって事件が既に知らされていることを、アルクェイドには伏せていた。しかし事実、彼もロランも手紙を見た時、これが二国の戦争の引き金になると思った。ラドアルタの人間が襲ったのだということを、疑いもしなかった。
「……そんなやり方が!」
その一定数の人間は、ここまでして、ラドアルタとの決裂を望んでいるのだろうか。
辺境の町で二国の民がどんな会話をしているのか、聞いたこともない癖に。
「自国の王子を殺害して、その濡れ衣をラドアルタに着せるなんて――」
「……まだ、事実とは決まっていない。感情的になるのは早いよ」
ロランには言葉で、セドウィンには目で制されたシナンは、沸き返る感情をぐっと抑えつけた。
「お話ししたことは飽くまでも、私の推測です。しかし考えられる以上は、私は嘘をついてでも、居場所を知られぬように王都へ戻らねばならなかった。父上に――国王に直接、事情を伝えれば、きっとラドアルタと争うことを、良しとはしないはずですから……」
「……王都騎士団の元を訪ねなかった理由は、よく分かった。では、ヴェルクの騎士を遠ざけようとしていたのは?」
片手を机に置いたロランにそう言われ、アルクェイドは一瞬、答えに詰まった。
「それは、もしかしたら王都騎士団に――」
「ああ、信用しきれなかったというのは、当然あるだろう。しかし、もし王都騎士団とは繋がっていないと確信できていたら、最初から力を借りていたかね?」
だがロランが言い方を変えると彼は、いいえ、と目を伏せた。
「……私は、シナン殿はきっと、信頼するに足る方なのだと思いました。ですが……」
「……。」
「いえ、だからこそ、巻き込みたくなかったのです」
今となっては言っても仕方の無いことと、シナンにはそれを伝えていなかったのを、アルクェイドはその時思い出した。
「王都騎士団は目的のためであれば、あらゆる障害を排除出来ます。国の未来という大義があれば尚のこと、地方の騎士一人に危害を加えたところで、何の罪にも問われないでしょう。たとえ、殺したとしても」
だから、自分の身は自分で守るべきだった。地方の騎士にとって、主は領主であり、守るべきものはその領に暮らす人々だ。王都騎士団とは本来、剣を向け合う関係には無い。ましてや、彼という人物は。
「シナン殿はラドアルタとの平和だけでなく、盗賊とも争う必要が無くなることを願っている。この領地だけでなく国を変えるかもしれない方が――私のために犠牲になることなど、あってはならないと思ったのです」
それを聞いたロランは、かすかに笑みを浮かべながら、一度だけ、ゆっくりと頷いた。一方、シナンの胸中は複雑なものだった。心配は無用です、と言うべき所なのだろうが、レベリオにあそこまで追い詰められた後では説得力が薄い。
それ以上に、アルクェイドはどうして、自分のことをこうも卑下するのかが気になっていた。仮にも王族は、この国の頂点に立つ人々だ。セルヴァニアの全ては究極的に、彼らのために生き、彼らのために死んでいくのである。本人も、自分が殺されるということの意味、置かれている状況は分かっているはずなのに、自分が生き延びることより、一人の騎士の命を優先している。直接の主でなかろうと、この国に住む者であれば、王族のために犠牲を払うのは当然のことにも関わらずだ。
確か、アルクェイド王子はアルバート王の、たった一人の子息だったはずだ。一体何が、彼が持っているべき誇りを、ここまで曇らせているというのだろう。
「……シナン。」
ロランに呼ばれて、次々と湧いてくる不可解に、一旦蓋をする。
「次は君に聞こう。とは言っても、君がどうするつもりか、ということだけだ」
それについては、既に心は決まっている。シナンはアルクェイドにもそうしたように強く頷き、答えた。
「私は、彼がアルクェイド王子であると信じています。この状況には、もはや一刻の猶予も無い」
アルクェイドを亡き者にしようとしている人間がいるなら、彼らは近く、王子の死体が見つかったと公表するだろう。もし、アルクェイドの勲章を彼らが手にしているのなら、それを死体が身に着けていたことにして。
既に事件からは三日が経つ。ともすれば、報せがとうに送られていてもおかしくはない。
場合によってはどこかでアルクェイドの生存を明らかにせねばならないだろうし、それは同時に、敵に居場所を知らせることを意味する。
危険は覚悟の上だ。
「私が彼を、王都まで送り届けます」
ロランもセドウィンも彼がそう言うことは分かっていたのだろう。唯一、彼を止めようとしたのは、アルクェイドだった。
「し、しかし!あなたはヴェルクの騎士……護送は領境までだと!」
彼が心配しているのは法の話だ。騎士は自分の主が治める領地以外では、それが護身のためであっても武器を揮ってはならない。シナンがヴェルクの騎士である以上、彼だけでアルクェイドを王都まで護送するのは不可能だ。
「心配は要りません」
だがシナンは、きっぱりと言い放って、ロランの前まで進み出た。そして、懐から小さなものを取り出して、彼に差し出した。深緑の宝石が中央に嵌め込まれた、翼を模した意匠を持つ勲章は、ヴェルクの騎士であることを証明するためのものだ。
それを外してしまえば――この領の騎士でなくなれば、少なくとも他領で剣を抜いたというだけで罪に問われることはない。
「……ロラン様。これをお預かりください」
しかし、勲章を外すという行為は、騎士であることをやめる、という宣言にも等しい。更に、その行動を領主に対して取るのであれば、それは領主への忠誠を捨てることであり、騎士としての生を捨てることでもある。
「……シナン。どういうことか分かっているだろうな」
セドウィンの声は、まるで盗賊と戦おうとしたことを叱られたあの日のようで、場違いな感覚ではあるが、妙に懐かしく響いた。
騎士として認められた者は、入団の式に際して宣誓を読み上げる。これから勲章を付けている限り、自分の命と忠義の全ては、領主に対して捧げられるのだと。
何よりもシナンにとって、ロランは騎士として仕えているだけの相手ではない。記録の上では、二人は血の繋がらない親子だ。ロランがそれを認めてくれたから、シナンは今、こんな話が出来ている。シナンも「その時」が来るまでは、騎士として、次期領主として、全力でこの領地を守ると誓った。