「……どうしてこんなことを聞くんだ?」
キースは、やたらと真剣な顔をしたルーカスが不気味だ、という風に言った。
「いや、少し思うことがあったからさ。この騎士団の行く末に」
「何だ、そのことか」
だが彼の考えていることは想像の範疇だったようで、軽い口調でルーカスをいなす。
「考えすぎだろ。ロラン様も団長も、ヴェルクを守る意思のない人間を登用したりしないさ」
「それは分かってる」
「じゃあ何だ?」
「……何かを守るっつっても、人それぞれだろ」
それでも相変わらず、ルーカスが深刻な顔をしているので、キースは警戒を露わにした。別人だと思われているのかも知れなかった。
「シナンは強いし、人を引っ張る力もある。あいつは何にも知らずに好き勝手言ってた連中を、実力だけで黙らせた。中々出来ることじゃない」
たとえ孤児院の出身であっても、入団に関する規則はそうでない者と同じだ。シナンも十五歳の時に騎士団へ見習いとして入り、その翌年、正式な一員となったが、普通のセルヴァニア人とは違った外見から、謂れのない中傷を受けることも頻繁にあった。その多くは、彼の才に対する嫉妬から生じたものだった。
今、シナンが団の皆から信頼を得ているのは、それらの誹謗に対する反撃を、彼が一切しなかったからだ。隊長となってからも、シナンは自分をけなした人間を責めることもせず、平等に仲間の一人として接した。その心の強さも、自分には真似できないものだとルーカスは思っている。
「――けど、あいつの周りには、そのうちあいつを『押す』人間しかいなくなるだろ」
だからこそ心配なのだ。どれほど優れた人物であっても、誤った判断をすることくらいはある。今は、領主であるロランや団長のセドウィンが、彼を諫めることもあるだろう。しかし、やがて世代交代が起こり、彼がこの団を率いる立場になったとき、果たして誰がその役割を継ぐだろうか。
もし今のまま、誰しもが彼を英雄と賞賛するままに、彼が「ヴェルクを守るため」の決戦に――例えば、盗賊団との相打ち覚悟の一戦に臨んだとしたら、誰がそれに異を唱えられるのだろう。
その人物が騎士として、指揮官としてどれほど優れていようと、戦いが起これば死者は少なからず出る。それが、平和のための高貴な犠牲として語られることが、ルーカスは好きになれなかった。
「……確かに、オルドスの一件は決定的だった。あれが今のシナンの地位を作った」
何故なら六年前の戦いで、ヴェルクの騎士たちも多く、命を奪われたからだ。その当時、キースやルーカスが指導を仰いでいた先達の騎士たちも、或いは状況が状況だったために駆り出された同輩も多く、帰らぬ人となった。
ヴェルクを守るために捧げられた命だと、思うほかないのは分かっている。だが、彼らはもうこの世にいないのだ。争いなどしないに越したことはない。もし避けられないのなら、その戦いは正当なものでなければならない。
「でも、シナンはあのことを後悔している。英雄扱いだって嫌がってる。これ以上間違いを重ねるようなことはないと思うがな」
キースは額あてを外し、また着け直すと、それに、と言葉を続けた。
「そんなに心配なら、お前がその役をすればいいんじゃないのか?」
「それも考えたけどよ」
ルーカスはキースを見やると、その大真面目な口調のままで答えを返した。
「怖いんだよ、あいつ」
「……真剣に聞いた俺が馬鹿だった」
「俺だって真剣なんだよ!お前はあいつの前でシナンに意見出来るのか?」
「出来るが?」
当たり前のような声色、どころか、何故出来ないのかという疑問を投げかけられたように聞こえ、ルーカスは珍しく沈黙した。
「……お前、すごいな」
「誰かと違ってやましいことが無いからな」
「失礼だぞ」
「うるさい」
カロン砦にはあれ以来、王都騎士団の使者は訪れていない。既にあの夜の記憶も薄れ始めているが、スカルドの中身は気になったままだ。
それを知る方法は二つ。何かが起きるか、何も起きないか。
こういう時に、どちらに転んでも自分にとって得になることを考えておけば自然と冷静になるものだ。祖父からそう教えられたルーカスは、今のところ誰にも、あの出来事を悟られてはいなかった。


「ふざけんな、てめえ!勝手なことしやがって!」
巨体の男は木に縛り付けられたまま、禿げた頭を真っ赤に染め上げて喚き散らしている。目の前で自分の集めた財産の数々が、次から次へと没収されていく光景に、遂に我慢がならなくなったらしい。
ここはヴェルク城から北に、一日弱ほどの距離を外れた森である。数日前、見慣れない盗賊のような連中がうろついていると、騎士団に報せがあったのだ。
今日はその討伐が行われ、既に撤収作業も終わりに差し掛かっている所だった。
「隊長。拠点内の捜索が完了しました。他の場所に盗品の保管は無いようです」
「……そうか」
自分のことなど気にも留めずに仕事を進める騎士たちに対し、男は苛立ちに任せた不自由な地団太を踏んだ。それで彼らがようやくこちらを見ると、今度はあらん限りの怒りを込めた睥睨を向ける。
「横取りたぁいい度胸だ。俺に何かあれば、ロブレン盗賊団が黙っちゃいねえぞ!」
すると、一人が男の方に近づいてきて、その視線を臆することなく受け止め、返す。
「な、何だ!交渉がしてえなら――」
「……嘘を吐くのは感心しない。貴様はロブレンの者ではない」
「あぁ!?」
もう一段階、声を荒げた男だが、無機質な眼光を間近に突き付けられ、じわじわとその表情が硬直する。その騎士は男と同じくらいの背丈があったが、輪郭が全体的に細く、整った目鼻立ちをしていた。腰まである髪の黒い艶と、切れ長の目に嵌め込まれた深い青の瞳は、町の雑踏にも戦場の中にも人目を惹くであろう美しさだった。だが、その顔面に一切の感情が表れていないことで、秀麗さは恐怖や威圧感に取って代わられている。
「……ロブレンの者は自らを盗賊とは呼ばない」
「!!」
「貴様のように騒々しくもなく、保身のために団の名前を出しもしない。……しきたりに嫌気が差して出てきたか」
ヴェルク騎士団の宿敵であるロブレン盗賊団には、元々は彼らの血縁者ではないものの、住んでいた場所で問題を起こして追い払われ、受け皿にすくわれる形で一員となった人間も多数所属している。そしてその中には、ロブレンという環境に安心よりも窮屈を感じるようになって、独立を企てる者が少なからずいる。
実際に彼らが団を離れると、ロブレンは即座に一切の縁を切り、自分たちが利用することも、逆に利用されることも出来なくする。彼らの寿命が往々にして、長くは続かないことを知っているからである。原因の大部分は、彼らが拠点の場所を、深く考えずに選んでしまうせいだ。盗賊団の根城と違い、拠点が領地の中に完全に収まっているのであれば、騎士団が手を出さない理由はない。
この男は盗賊団で自分より若い人間に頭を下げるのが馬鹿馬鹿しくなり、自分に従っていた数名を連れて新たな盗賊団を立ち上げようとしたものの、村に近くて逃げるのに便利だからというだけでこの森を拠点にしてしまった、まさに完璧なお手本であった。
「し、知った風な口ききやがって!何の証拠が――」
それでも自分の負けを認めたくない男は、尚も騎士に食って掛かったが、その声は何らかの力に遮られた。騎士が首を抑えつけたのである。
とても自分より腕力があるとは思えない細い腕から送られる圧力で、男は精神的にも言葉を奪われた。そして、青い瞳が相も変わらず、自分に対して怒りや苛立ちすら抱いていないことも。
「言葉には気を付けろ。貴様を戦死したことにしても、ヴェルクは何の損害も被らない」
「……!!」
「……だが貴様のような人間でも、善人に変わると思っている者もいる。裁きを受けられるだけ有難いと思え」
抑揚の無い口調は、話しかけているというよりは、ただただ一方的な宣告のように響く。
解放された男が咳き込むのを気にする風もなく、彼は傍らの部下に告げた。
「……先に戻る。後は任せられるか」
「はっ」
男は遠ざかっていく足音を聞きながら、既に連行されてしまった手下が、騎士たちの襲来を報せに来た時の様子を思い返していた。体は震え、顔からは血の気が引いていた。彼はその場に両手と膝をつくと、呂律の回らない舌でこう告げた。
弓騎士隊――「豹眼」セストの隊が来た、と。
その騎士に目を付けられた盗賊は、一人たりとも逃れることが出来ないという。もう一人有名な、「白狼騎」とあだ名されるヴェルク騎士は、どんな悪人も殺さず捕らえることで知られるが、こちらは必要があれば――特に、人質を取るなど下手な行動に出れば――容赦なく致命傷を与えに来るのだと。 「あ、あの!」
残された部下の所に、場違いなほど小柄な人影が駆け寄ってくる。三つ編みにした柔らかな茶色の髪も相まって、戦場に子供が紛れ込んだかのようだが、その少女はちゃんとヴェルクの紋章と、小さな体躯のための防具を身に着けていた。
「使用した矢の回収、か、完了しました」
「ああ、お疲れ様……」
騎士は彼女が抱えてきた矢の束を受け取ろうとして、その顔が妙に赤いことに気付く。
「隊長に何か言われたのか?」
「へっ!?」
特段の意図はない質問に対し、少女は声を勢いよく裏返した後で、急にあたふたと言い訳を始めた。
「ち、違うんです!どうしても木に刺さってたのが一つ、抜けなくて!そしたらたっ、隊長が取って下さっただけで……その……!」
別に何も責めていないのだが、と反応に困っているうち、少女の中では話が完結したのか、矢の束を半ば押し付けるようにして走っていってしまった。
女性の団員には珍しくない反応だが、殆どは彼に一定の距離まで近づくと、普通の世間話もし辛いことが分かったり、心の読めなさに改めて恐怖を覚えたりして、また離れていくものだ。しかし彼女は、この隊に配属されてからというもの、ずっとあの調子である。
彼の佇まいに恐れを抱かないというのは、もしかしたら大物の証拠なのかもしれない。そんなことを考えつつ、騎士は戦場の後処理へ戻る。


シナンとエイドがヴェルク城に到着したのは、門衛の騎士が城の外周に、松明の灯りをつけて回り始める時間だった。
城門をくぐって厩番に二頭の馬を預けると、エイドは再び、顔を隠すように外套を被り直した。そこに、シナンの帰還を聞いてやってきたらしい騎士が、略式の敬礼の後に告げる。
「隊長、ロラン様がお呼びです」
少し休んで明日の計画を立てようと思っていたシナンだが、領主からの用件は何よりの優先事項となる。
「急だな。何か重要な話だろうか」
「いえ……我々には、隊長が戻り次第、部屋に来るよう伝えてほしいと」
「……そうか。すぐ行くよ。ところで今日、城に送られてきた者はいたか?」
「は、特にはおりませんでしたが……」
「ああ、分かった。大丈夫だ」
とはいえ、先にエイドを部屋まで送り届けてからだ。幸い、客室は領主の部屋と同じ階にあるから、この用だけは先に済ませられる。
既に訓練が行なわれる時間は過ぎ、今は夕食を調理するにおいと、業務から解放された騎士たちの賑やかな声が城内に満ちている。エイドは多少警戒していたが、ショーレ砦と同じような内装を想像していたのか、安心しているようにも見えた。
「おっと!」
「あっ!」
シナンが角を曲がろうとしたところで、誰かにぶつかりそうになって足を止める。