時は戻り、その夕刻。
ヴェルク領東部に位置するショーレ砦にて、今日も平和な一日を終えたと談笑していた騎士たちの元に、突然の訪問者があった。
「シ、シナン様!?これは……」
彼らが面食らったのは、その訪問者が自分たちより目上の部隊長であったことと、それよりも彼が三人の盗賊を、縄で一括りにして引っ張ってきていたからである。
「『隊長』と呼んでくれと言っただろう」
「は……!失礼しました」
もう慣れっこなのでいちいち目くじらを立てないが、騎士団内での規律に触れるので、一応注意をする。馬を降りた少年はシナンの後ろに隠れ、外套を深く被って様子を窺っていた。
「ええと……ひとまず彼らか。今晩はここに拘留するのが良いが、なるべく早く城に移してくれ」
縄の先端を騎士に引き継いで指示をする。最初は威勢が良さそうだった盗賊たちは今や、所々に小さなこぶや痣を作って、黙って項垂れていた。
無理もない。手に手に刃物や鈍器を持って、三人がかりでシナンに襲いかかったにもかかわらず、盗賊たちは彼に傷一つ付けることができなかったのだ。
「……。」
本当に、「すぐ」だった。盗賊たちは木の槍で的確に急所を打たれ、気が付けば全員が、地面に転がって動かなくなっていた。騎士は自分の乗ってきた馬に備え付けた長縄を持ってくると、三人を一つにまとめて、ぐるぐると縛った。
彼がここに駆けつけてから、十回もまばたきをしただろうか。それから、騎士は少年の元にやって来て、片膝をついた。
「怪我はないか?」
少年はぽかんとしたまま頷き、騎士は、良かった、と呟いて手を差し伸べる。その手を取ってようやく、魂が抜けたかのような体に力が戻ってきて、少年はどうにか立ち上がることができた。
「この時期は盗賊たちの動きも活発だ。不用意に出歩くのは避けた方が良い」
「……。」
「近くに砦がある。一度、そこまで送ろう」
まだ状況が飲み込めていない少年が一言も喋らないうちに、騎士は盗賊たちの乗っていた馬の方に歩いていき、手際よく馬具を外し始めた。盗賊たちは恨めしそうにその様子を睨んでいたが、元々自分たちのものでもないので、返せとも言えないのだろう。
自由になった馬たちはしばし周りを警戒していたが、そのうち草を食んだりして、徐々に思い思いの所へ移動していった。
色を強めつつある日暮れの光の中で、馬の姿は影へと変わって、大地と同化していくようにも見える。セルヴァニアでは多くの生物が精霊の使いとみなされ、無闇な殺生を禁じられているが、特に馬は高い霊性を持つものとして、人間と同等に扱われてきた。それは馬が大地と繋がりの深い生き物であり、大地とは肉体と、そこに宿る力としての命、つまり生き物の存在の半分を創るものであるためだ。
知性も高い彼らは人間が導かなくとも、自分の行くべき場所が分かっている。自由を求めるのであれば、人里から離れた土地を目指すだろうし、絆のある人間がどこかにいれば、再会しに行くだろう。
その後ろ姿を見つめながら尚、少年はここから逃げるということを考えていた。この騎士はきっと、あの孤児院にやって来ていた人間と同一人物だろうが、何故自分を追って来られたのかが分からなかったからだ。しかし、こうして盗賊に襲われた直後、またこの場を抜け出して一人で行動しようというのは、幾らなんでも軽率すぎる。
「あ、あの!」
騎士が戻ってくると、少年は久しぶりに出すような大きな声で、彼に呼びかけた。
「どうして……その、僕の居場所が?」
彼は回収した馬具を自分の馬に積み込みながら、答える。
「君がいなくなったと、孤児院が騒ぎになってな。すぐに村の人たちにも話を聞いたら、走って行く君を見かけた人がいた。立ち止まりもせず西の方に……ということだったから、そうやって進んでみることにした」
それと、と彼は言葉を切り、少年の前にやって来て、懐から何かを取り出した。
「これが落ちていた。君のじゃないか?」
それを見た少年は、驚きに目を丸くして、無言で説明を求めることしか出来なかった。
宝石を使った首飾りである。紐の部分は革と、細い銀の鎖で作られていて、同じく銀の台座に、小鳥の卵ほどの宝石が嵌め込まれている。台座に施された精緻な彫刻もさることながら、やはり目を引くのは、その宝石の不思議な輝きだった。下半分は青みがかった灰色の、もやのような内包物が埋めているのだが、上半分は炎のように赤く、自ら光を放つようである。そして、もやの後ろから差し込むように入った白い筋が、さながら暁の空の情景を閉じ込めたように見える。少年が失くしたと思っていた、希望の象徴だ。
「やはり、そうか」
「……一体、どうやって?」
彼は、これを孤児院からここに辿り着くまでのどこか、草原の真ん中で落としたのである。普通に探したって、まず見つかるとは思えない。ましてや馬を走らせている最中の人間の目に、これが留まったとは信じられなかった。
「それが、草の中で光っていたんだ」
「……!」
「詳しくないが、ラドアルタで作られたものなんだろう?」
騎士の言う通り、この首飾りには、夜の闇さえ真昼のように照らす力がある。しかし、それには特定の動作――この場合は宝石の周囲を指で数回なぞる――が必要となるはずだ。
そんなはずは、と言いかけたが、そもそも魔法というものが自然の力を利用するものである以上、思いがけない動きをする可能性もある。少年は震える手でそれを受け取った。今は、この騎士がそれ以上を語らないことに、ただ安堵していた。
「そうだ、余っている紙がないか?端切れでいいんだが」
その後、シナンは少年を自分の馬に乗せて、この砦までを歩いてきたのだった。道すがら、簡単な会話や受け答えはしたが、少年はやはり、自分から事情を話そうとはしなかった。
「あと、寝室が空いていれば借りたい。彼を休ませたいんだ」
「彼……この子ですか?」
砦の騎士に注目された少年が身を強張らせたのが分かり、シナンはそれとなく視線を遮った。
「ああ、奴らに襲われていたんだ。少し話したいこともあるからな」
「勿論、構いません。上って右側の寝室は誰も使っておりませんので、ご自由に」
「ありがとう」
また後でと騎士たちに告げると、シナンは少年に、ついてくるように促した。古い砦は夕暮れの深い濃淡の中にあって、率直に例えるなら廃墟じみた風合いをしている。踏み入ると、廊下には小さな蝋燭がぽつりぽつりと灯っているのみで、床には絨毯――だったのだが、破れや汚れの目立つせいでむしろのように見える敷物が伸びる。ちょうど成人の頭の高さにある木の窓は、打ち付けられて開かなくなったものが散見された。少年をちらりと見ると、不気味な洞窟にでも来たかのようにきょろきょろとしていた。
騎士団の拠点は、役割によって三種類に分けることが出来る。
最も規模が大きい中央拠点は、一般的には「城」と呼ばれるもので、その他の拠点は領地の大きさによってその数が変わるのに対し、城は各領に一カ所のみである。領主の住居を兼ね、領の機能の中枢でもあって、場所によっては騎士団全体の半数の人員を収容出来るものもある。
その下位となる中継拠点は、ヴェルクではカロン砦がそれに含まれ、部隊長格が管理と防衛を任されている。一部隊の半数以上を収容する能力があり、周辺の更に小さな拠点を統制する役目も持つ。
そして、中継拠点の下位にあって、更に小規模なものが末端拠点という部類である。村や町、街道の近くに建てられ、近隣の巡回や、付近で盗賊が出没した際に先行して出動するための基地の役割を持つ。多くても十数名の騎士が駐在するための最低限の設備のみを有していて、防衛のための機能は充分備わっていないことも多い。
このショーレ砦は言わずもがな、末端拠点に属している。ヴェルクの騎士たちには全国を見ても、こんなに分かりやすい末端拠点はないだろうという変な自信があるだが、これはヴェルクが建国当時から、倹約指向の領であることに起因する。必要のないものはたとえ財政に余裕があっても買わないので、宝石や他国の工芸品など高値のものを売りたい商人に敬遠された結果、ヴェルクはセルヴァニアの中でも一、二を争う田舎になった。その代わり、常に充分な領の備蓄があるため、盗賊の襲撃或いは災害に見舞われた際の復興は、どこの領地よりも迅速とされている。領主や騎士に対する民の信頼が厚いのも、この領の特徴である。
とはいえ窓が開かない状態になっているのは安全面を考えると良くないので、修理をさせなければいけないな、と思う。
狭い階段を上ってすぐに、それを挟むようにして、八つの寝台を並べた部屋が二つあった。シナンは騎士に言われたとおり右の部屋に入って、入り口で少年を待たせると、寝台の点検を始めた。思った通り、大体の脚がネズミに囓られている。
最も被害が小さかったのは、部屋の一番奥、向かって右側の寝台だった。シナンは少年を手招きしてそれを使うように言うと、自分は一つ離れた寝台を選んで、外した防具をそこに置いた。
「もう少しで夕食のはずだ。それまで休んでいると良い」
少年は会釈をすると、寝台の下端に腰を落ち着けて、大きく深呼吸をした。荷物を置こうとする素振りを見せないのを見ると、まだ警戒しているのだろうか。
「……言いたくなければ、構わないんだが」
シナンは寝台に腰掛けると、ややためらいながら、少年に声をかけた。
「もしかして、騎士に嫌な思い出があるのか?」
「え……?」
図星だったのか、それとも質問の意味が分からなかったのか測りかねて、シナンは言葉を付け足す。
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