「……お荷物になるかもしれないぜ?」
「彼と同じ立場なら、私もそうしますから」
「甘ちゃんだなあ」
彼らの背を見送ったルドルフは、続いてアルクェイドに目を向けた。
「そんで、この子がその、商人のお坊ちゃんかい?」
ここに居る中で彼の正体を知っているのは、シナンとセストだけだ。セドウィンが荷物を届けに来たときの話によればルドルフには、王都に住んでいる商人の息子、ということで話が伝わっているらしい。
「ええ。盗賊に襲われて隊列からはぐれてしまって……王都に戻る足がないそうなので」
そして――カムリとジュノには後で確認しなくてはならないが――セドウィンはシナンたちの隠れ蓑として、「傭兵団」という仮の姿を提案してくれた。ルドルフを団長として、依頼主を送り届ける任務の途中、ということにした方が、騎士として活動するよりやりやすいだろうという考えからだ。しかし他の人間はともかくシナンはある程度、近隣の領地にも名前が知れているので、彼の分も頭まで隠せる外套を用意してくれたのだった。
「……道程は決まっているのか」
「ああ、ロラン様が考えてくれた」
既に二人のことは気にしていないらしいセストに答えて、シナンが懐から取り出したのは、その道程の略図である。
「なるべく領境沿いを通って王都まで向かう、最短の距離だ。途中でエンドルとキームゼン……場合によってはクルグラントにも入るかもな」
「場合によっては、か」
ルドルフには悟られないよう、シナンはちらりとアルクェイドを見やって、その意味する所を伝えた。それについては今朝、互いに支度を済ませて合流した時、アルクェイドの方から申し出があったのだ。
無理なお願いかもしれませんが、と前置きしてから彼は、なるべく王都騎士団とは戦わないでほしい、と頼んだ。
今は敵対しているとはいえ、彼らは本来王族に仕え、王都とこの国を守る存在だ。だから、戦わざるを得なくなったとしても、命を奪うことは避けられないか、と言うのだ。
シナンも、そればかりは確約が出来なかった。一度は殺すつもりのなかった相手を、力が及ばないという恐怖心から殺してしまったこともある。最善は尽くしましょう、と彼は答えた。一番に遂げるべきことは、あなたを無事に王都へ届けることだ、とも。
「……はい、分かっています」
アルクェイドはそう答えて、静かに頭を下げた。そして、改めて、どうかよろしくお願いします、と口にした。
「こちらがそのつもりでも、奴らがどう出るか」
一部始終を聞いたセストは、向かう先を睨みつけるような目になって、そう呟いた。
既に辺りを包んでいた霧は晴れ、空を白く染め上げる日の光が、六人の背中を照らしている。
クローア山。ヴェルク、エンドル、カインデル、キームゼンの四領に囲まれるように位置するこの山とその周辺は、ロブレン盗賊団の根城となって久しい。
篝火が連なる山に部外者が一歩でも踏み入れば、見張りから直接攻撃を受けるか、遅からず罠の餌食になるだろう。遠目から見ると所々、森が切り開かれている箇所があって、そこは農地にされていたり、或いは石材や鉱石の採掘場になっていたりする。ロブレンの民はここで資源を生産していて、賄えないものについては近隣の村や町から略奪を行うのだ。
申し訳程度に整備された山道を登り切れば、そこには巨大な空洞が口を開ける。岩窟をくり抜いたこの空間は、中央に二本、両側の壁沿いに五本ずつ並んだ篝火によって、隈無く照らされている。壁には豪奢な装飾品の数々や美しい布が打ち付けられていて、ここが特別な人間のための場所であることを示していた。
黒ずんだむしろの上に座り、背後に二人の女性を侍らせたレベリオは、干した肉を乱暴に噛み千切る。昨日の夜、唯一受けた浅い傷はとうに塞がり、敗北の怒りも収まったその瞳には、値踏みをするような、まさに獲物を解体しようとする刃物の煌めきが宿っていた。
そんな視線を正面から受け、盗賊たちにも取り囲まれながら、怯む様子もなく立っている人影がある。体は外套に包まれているが、体格は男性のものだった。
彼は先程、このロブレン盗賊団の根城に突然訪れると、頭領のレベリオに会いたい、と要求した。当然、盗賊たちは彼を威嚇したが、小袋に入った、優に五百フロムはある貨幣を土産として手渡し、彼は再び同じ台詞を口にしたのである。
「お目にかかれて光栄です、レベリオ様」
男は恭しく頭を下げるが、レベリオは僅かに気を良くする様子もない。
「この草原の覇者として揺るぎない矜持を保ち続ける、あなた方ロブレンの民の姿に、私は深い畏敬の念を抱いています」
それどころか、残った肉を全て押し込むと、わざとらしく音を立ててそれを咀嚼し、手の中で二つの小石を弄ぶ。その音はこの空洞の中に歯ぎしりのように響き、部下たちをも恐縮させるのだった。
「……嘘くせえよ、お前」
獣の威嚇の如くに歯列を覗かせ、レベリオは男に告げる。
「用件を言いな。それによっちゃあ、身包み剥ぐのは勘弁してやるよ」
男はしばし沈黙した後、懐から何か、輝く小さなものを、レベリオに投げて寄越した。座ったままでそれを受け止め、訝しげに拳を開く。
そこには、白金に輝く鷲と馬の紋章――王都とその騎士団、そして、支配者である王族を表す印があった。
「……へえ」
「私はそこから来ました」
男はそう言うが、正確な判断は出来ない。王族、というわけではないだろうし、騎士団に所属しているのか、元騎士の貴族なのか、或いは、これは拾いもので、ただ王都からやって来たというだけなのかも。
「そうかよ。これは俺たちにとって、この世で一番憎たらしいもんだ」
小石とともにそれを弄びつつ、レベリオは口角を釣り上げる。
「それでお前はみすみす、殺されに来たってのか?」
男は緩やかにかぶりを振って、質問には答えず、次の話に移った。
「昨日、あなた方はヴェルク城を襲撃した」
「……何で知ってる?」
「おや。あなたを狙った矢を弾いて差し上げたではありませんか」
彼が両手を広げると、周囲の盗賊たちは得物を更に近づけたが、男は意に介していない様子だった。冗漫な仕草を収め、彼はレベリオに告げる。
「……そこに、銀髪の子供がいたと思うのですが」
鳴らされ続けていた歯ぎしりのような音が、そこでぴたりと止んだ。
レベリオは小石と勲章を、同じ掌の中に握り込めて、真顔で男を見つめる。もう少しで、父の仇である「白狼騎」に、とどめを差せるかもしれなかった。そうでなくても、命乞いをさせるくらいは。
それをいきなり飛び込んできて、妙な力で阻んだ、あの子供。
「やはり、覚えていらっしゃるのですね」
その時、男は初めて、口元に微笑みを浮かべた。それ以上、レベリオが反応を示さないと見ると、男はその表情のまま続ける。
「本日、こちらに伺ったのは他でもありません。あの子供をヴェルク騎士から奪っていただきたいのです」
「……あのガキが何だってんだ?」
レベリオが、戦ってもいない相手に感情を揺さぶられるのが珍しく、部下たちは目を白黒させている。男の笑みは、レベリオの心を手の内にしたこと、勝利を確信したことの現れだった。
「あの少年の名はアルクェイド――セルヴァニア王国の王子ですよ」
そこに発せられた一言によって、空間は俄かにざわついた。それをレベリオが咳払い一つで静めてみせると、炎すら爆ぜることをためらうような、完全な沈黙が降りる。
「……無理だな。俺たちに何の得がある」
しかしそれを破ったレベリオの台詞は、もっと大きな対価を男に要求するものだった。
傍らの杯に入った酒を一息に呷る。その後に聞こえた小さな溜息にレベリオが顔を上げると、男はくつくつと肩を揺らして、何かを含めるような口調になった。
「ここだけの話……この国は、混乱の時代を迎えつつあるのです」
「回りくどい。俺の質問に答えろ」
「では率直に。それはあなた方が、再び草原の覇者となる絶好の機会なのですよ」
先程注意された盗賊たちは互いの顔を見るに止まり、レベリオは更に鋭くなった眼光を男に向ける。
「現在、セルヴァニアは隣国――魔道国ラドアルタへ侵攻するための準備を着々と進めています」
「……。」
「アルクェイド王子は、両国の友好の切り札です。その彼がいなくなれば、セルヴァニアはなすすべもなく戦争へ向かい、ラドアルタに返り討ちにされるでしょう。王の権威は失墜し、各地の騎士団も大きな損害を受ける」
その眼光が何かを捉え、訝しげに細まった。
「……いなくなる、だと?」
小さな問いかけに、男は今度は、疑いようもなく明瞭に頷く。
「ええ。生け捕りにしてほしいとは、一言も申し上げておりません」
レベリオは空になった杯を持ち上げる。影のように控えていた女性の一人が、大きな酒瓶を持ち上げて、新たな酒をなみなみと注いだ。
「勿論、王子を守るヴェルクの騎士たちも同様です。彼らの生き死には、我々の目的には何の関わりもありませんからね」
その香りを楽しむこともなくレベリオは二杯目を飲み干し、叩きつけるように杯を置いた。地面を見つめているレベリオの表情は、他の誰にも読み取ることが出来ない。
三百年前、ロブレンの民は、一人の王による統治を拒んで「盗賊」と呼ばれるようになった。以来、英雄アリオーンの血統は、同じ境遇にある民を無法者として弾圧してきたのだ。
王の権威が失われるということは、自分たちを抑圧する力が無くなることを意味する。
遊牧の民の、誇り高き大地の戦士たちが、繁栄のために尊い血を流した、あの時代への回帰。
そこで頂点に君臨するという、父から受け継いだ志。
「白狼騎」との初めての決闘で闇へと変わった炎が、再び声を上げて、己の魂の中に高く立ち上ろうとしているのをレベリオは感じていた。
「……成る程な。そんで、てめえは何モンだ?」
「詳しくは申し上げられませんが……この国の未来を憂う者、ですよ」
岩窟の中に低い振動が木霊する。盗賊たちも、それまでものも言わず座っていた女性も、驚きに目を見張った。
レベリオが笑っていた。彼が肩を揺らして笑うのは、本当に愉快なものに遭遇した時だけだ。
西方より近づきつつあった暗雲がその時、ロブレンの根城に一滴の雨粒を落とした。
(「白光の朝に」 了)
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