「僕の名前は、アルクェイド――アルクェイド=アルフレッド=ヴェントハイム。セルヴァニア国王、アルバート=ヴェントハイムの息子です」

それを聞いたシナンはやはり、少しも驚く様子を見せなかった。もうずっと前から疑ってはいたのだろうし、ある程度固まった予想がなければ、直接、名前を訊ねたりもしない。
アルクェイド=アルフレッド=ヴェントハイム――それが「エイド」と名乗っていた少年の、本当の名前だった。アルクェイドは個人としての名、ヴェントハイムは正統な王族の家系であることを示す名だ。アルフレッドとは王位継承予定者に付けられる「予号」と呼ばれる名で、歴代の王から、その時代に求められる業績を持った人物のものが選ばれる。
この予号は平常時においては秘匿されているものであり、それを知る者は本人も含め三名程度である。主に両親などの血縁者で、本人が行方不明になるなど、差し迫った事態にならなければ口外されることはない。
つまり、自分で自分の予号を名乗ったところで、確認できる者がいないのであれば証明の意味は為さないということだ。ただ、今は信じてもらえようともらえまいと、それを明らかにすることに意味があると思った。
二人はしばし、互いに思うことがあって、何も言わずに見つめあっていた。その時、客室の扉が叩かれ、シナンが訝しみながらも返事をする。
言葉もなく入ってきたのは、長身に、腰まで伸びた髪を結った男性だった。アルクェイドは頭の中に稲妻が走ったような気持ちになって、反射的に身を強張らせる。
「セスト!いい所に来たな」
その人物は全く感情の見えない顔をしていて、もしシナンが親しげに声をかけていなければ、ここから逃げ出そうとしていたかもしれない。だが、何かが妙だ。確かにその佇まいにはちょっとした威圧感があるが、そこまでの緊張や恐怖を抱く必要があるだろうか。
自問自答をしていると、シナンは自分をその男性に示して言った。
「こちらの方に見覚えがないか?」
そう言われて、彼はアルクェイドをじっと見つめる。無意識に、握り締めた拳に力が入ってしまうが、シナンの口ぶりからして彼が信頼している人物であるようだ。それに、名前にも聞き覚えがある。この城に戻ってきてすぐ、シナンが居場所を訊ねていたような気がする。
「……誰だ」
ようやく返ってきた答えがシナンにはいささか不服だったらしいのが、アルクェイドにも分かった。
「アルクェイド王子だ」
だからと言って答えを出すのが早すぎはしないかと本人がどぎまぎしているのをよそに、彼はまたアルクェイドの姿を観察して、ごくごく僅かな角度で首を傾げた。
「……そうか」
「え、それだけか?」
「言われればそうも見えるが、断定は出来ん」
彼はそれ以上を語らないつもりだったらしいが、シナンはどうやら、彼の答えにそれなりの期待を掛けていたようである。すると彼が小さく溜め息らしいものをついたので、ああ、感情はあるのかとアルクェイドの緊張が少し和らいだ。
「……十年近く前だぞ。王子は四、五歳だった」
「ああ……そうか、そうだよな」
シナンはそれでようやく諦めがついたか、アルクェイドに向き直って言った。
「彼は以前、王都に住んでいたことがあるんだ。それで、君の顔を知っていれば、証明になるかと思ったんだが……」
「そ、そうなんですか」
「……陛下だとして、何故こんな所に」
当然の疑問だろう。シナンは説明しようとそちらを向いてから、言葉が出ないことに気づいたらしい。
「それを今から話してもらうんだ」
「……。」
「ただ……俺は彼のことを信じているが、ロラン様やセドウィンに、どう言ったものかと思ってな」
口元に指を当て、シナンが考え込み始めると、彼は再びアルクェイドの方を向いた。
「……勲章は」
「……え?」
「王家の人間は、特別な勲章を持っているはずだ。それさえあれば王族だと証明が出来る」
それを聞いたシナンが途端に目を輝かせたので、アルクェイドは申し訳ない気持ちになって、おずおずと視線を落とす。
「実は……」
王族について多少なりと知識のある人間がいれば、聞かれるだろうとは思っていたが、やはり痛い質問である。
「逃げている途中に、落としたようで」
気付いたのは、孤児院で荷物を一度広げた時である。鞄の中身は奇跡的に全て揃っていたので、安心してついでに懐をまさぐると、そこに針を通して固定していたはずの勲章が無かった。
山中を走っている間、何度も転んだり、木の根や藪に引っかかったりしたので、その拍子に緩んで落ちたのだろう。とはいえ、探している暇もなかったし、場合によっては身分を示すものが無い方が身を助けるかもしれない、と深く考えないことにしていたのが裏目に出た。
「ほ、本当にごめんなさい!」
「……いや、仕方がないさ。何か別の方法を……」
「……直接、話をするしかないだろう」
そう言いつつも明らかに落胆しているシナンに、アルクェイドは何か気の利いた言葉を掛けたかったが、先に抑揚のない声がそう提案した。
「勲章もなく、顔を知っている人間もいないのであれば、先に身分を示すことは不可能だ。その話の内容如何で、判断をしてもらう他はない」
「だが――」
「お前は信じているんだろう」
言い淀むシナンにそう言い残し、彼は扉の方へと足を向ける。
「……団長から、ロブレンのことは聞いた」
「!」
「……説教の一つでもと思ったが、そういう事なら後でいい」
振り返らず部屋を出た彼のいた後を、シナンはしばらく見つめていたが、やがてアルクェイドに視線を戻すと、改まって口を開く。
「すまない。最初は俺が話を聞いて、それを領主様や騎士団長に伝えるつもりだったが……」
「……。」
「あいつの言う通り、直接話してもらった方がいいだろうな」
鼓動が、また少し早くなる。
全てを話すということは、それを聞いた者を、自分に関わらせるということだ。
なるべく少ない人数にすべきだと思っていたが、幾ら強い力と信念を持っているとはいえ、彼も一介の騎士である。まずは自分の領に迫る危機を主に伝え、その考えを仰がずには、独断で動くことは許されない。
これも、先へ進むのに必要なことだ。
「……分かりました」
アルクェイドの声と表情に、これまではなかった凛とした険しさが現れる。
「信じてはいただけないかも知れませんが……お話しします。私の身に、そしてこの国に起きていることを、全て。」


−X 銀星は告げる−



書斎の机の上には小さな角灯が置かれ、それは蝋燭の細い光よりも、そこにいる四人の顔をはっきりと映し出していた。
「この方は、アルバート国王陛下の嫡男、アルクェイド王子です」
ロランとセドウィンは目を丸くして、シナンと、彼が連れてきた銀髪の少年を見つめている。二人とも、シナンが堂々と言い放った一言を俄には信じられなかったのだが、彼がいい加減な理由で場を混乱させるような人間でないこともまた、よく知っている。
ロブレン盗賊団の襲撃による慌ただしさも収まり、城内はとうに眠りの時間になっていた。先程ロランと、ちょうど彼に襲撃についての報告をしていたセドウィンに話をつけたシナンは廊下に出て、これで彼がラドアルタに滞在していたこと、ラドアルタの魔法について理解があること、馬の操縦が出来ることについては辻褄が合うと、一人で頷いていた。しかし、分からないのは彼が何かに怯え、それでいて騎士に助けを求めるのも避けていたこと、そして国境付近で襲われた彼が、どうやってユクの孤児院まで辿り着いたのかということである。それに、今までシナンが得てきた情報はどれも、彼が本当に王子であるという確定的な証拠にはならない。
セドウィンが口を開き、早速その不安点を突いた。
「……証明になるものは?」
「セストにも確認を頼んだのですが、何せ十年以上前のことなので断定は出来ないと……。王家の人間が持っているという勲章も、逃亡の途中で紛失したとのことです」 しかし、とシナンは二人を制止しながら続ける。
「私は、彼がアルクェイド王子であるということに疑いを持っていません。それはこれから、彼のお話を聞いていただければ分かります」
そして、シナンは自分が孤児院を訪問してから、彼と出会い、ヴェルク城へと招くまでの経緯を、順を追って二人に説明した。併せて、どうして自分は、彼が王子であると信じているのかということも。それを聞いてますます眉間の皺を深めるセドウィンを、ロランが椅子から立ち上がりつつ掣肘する。
「まあ、そんな怖い顔はよしなさい。まずは彼のお話を、じっくり聞いてからにしようじゃないか」
机の横に移り、そこで杖をついてアルクェイドの話を聞くつもりらしい。
シナンはアルクェイドに目配せし、始めるよう合図を出した。二人に対して、アルクェイドが真実を話したとしても、それは彼が彼自身について語っているに過ぎない。もし納得が得られないようなら、その時は自分が後押しをしようとシナンは決めていた。
命を狙われた恐怖は尚も鮮明だ。だが今はそれ以外に、自分が自分であることを示す手段がない。せめてあの記憶を詳らかに語らなければ、誰かに力を借りる資格すらないのだ。アルクェイドは静かな深呼吸を挟むと、まずはロランに向けて、話を始めた。
「……私が親衛隊を伴って王都を出発したのは、半月ほど前のことになります」
顔には出さなかったが、シナンは驚いていた。ショーレ砦で話をした時の、あの自信なさげで気弱な少年は、そこにはいなかったからだ。
「特に今回の訪問は、両国が平和を築いていくための、とても重要なものでした」
ラドアルタへの親善訪問は、セルヴァニアの王族にとっての慣例行事である。第六代国王アルバート一世が、ラドアルタ共和国の建国五十周年を祝うため行なったのが始まりで、以来セルヴァニアの王は外政に出られる年齢になってから一回、即位してから一回の親善訪問を必ず実施することになっていた。
ただ今回については、慣例として定められた以上の意味があった。ラドアルタは来年、建国から百五十年を迎え、勿論セルヴァニアの王族もその式典に出席することになっている。その前祝いとして、また建国記念の式典を滞りなく進め、事前に理解を深めておくためにも、アルクェイドは今、ラドアルタへの初訪問を済ませなければならなかった。
だが、それに際して開かれた王族と貴族の会議は紛糾した。
ラドアルタとの友好を重視しない者たちが、来年の記念式典に親善訪問をまとめればいい、という意見を口にしたのである。
彼らの考えに、アルクェイドは猛反発した。初めて外政に携わる楽しみを奪われるという、個人的な感情が全く無かったと言えば嘘になるが、彼らはそのような扱いが、ラドアルタの人々にどのような心象を与えるのか全く理解していなかった。
「もしも今、セルヴァニアが荒れ果て、そこかしこで民が助けを求めているような状態だったなら、私もそれを考えたでしょう」
憤りが蘇りそうになったのを抑え、アルクェイドはその感情を、ロランに訴えかけることに集中させる。
「……ですが、ヴェルクの方々もご存知でしょう。セルヴァニアの貴族たちが、ラドアルタの人々にした、あまりに酷い仕打ちを」
彼らには、両国の軋轢を深めたのは他でもない、自分たちであるという自覚がないのだ。それだけで、アルクェイドが激高するには充分だった。
二つの国の間に因縁が生まれたのは、無論、三百年前の戦争である。最終的にセルヴァニアの民が勝利を収めたものの、大地を焼き、風を唸らせ、時には雷さえ操って破壊の限りを尽くした彼らの魔法は、それに対する強い恐怖と嫌悪を人々の心に刻み付けた。